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継帝記異聞録

廃墟の怪 - 11

 明日見の視界には、朧な青黒い薄闇色に染め上げた幻想的な世界が捉えられた。
 周囲の環境に眼が慣れるに従って、眼前の朧な影は次第に明確な輪郭を帯び、一つの像を結んでゆく。
 目の前に立ちはだかるのは、堅固な石積みの壁??いや、これは天井だろう。
 何らかの光源から発せられた光を反射する事で、普段は濃密な闇に閉ざされたまま、決して明かす事のない自らのありのままの姿を、こうして人目に晒しているのだ。
 石積みの天井を照らす青白い光は、明日見の傍らから発せられている。
 ーー確か、青白い光は……。
 未だに朦朧とした夢見心地から抜け切らない明日見は、つい今しがたまでの自分の記憶を掘り起こそうと、光源のある筈の傍らにゆっくりと視線を傾ける。
「気がついた?」
 ふと、光源の方向から聞き覚えのある声が呼びかける。
 そして明日見を頭上から覗き込む尚正の顔。
 そう、この男は尚正という名の退魔士の男だ。
 ーーそして私は……!
 瞬間に明日見の脳裏を先ほどまでの記憶が光の奔流となって駆け巡り、ハッと我に返って上半身を叩き起こした。
「尚正、私は一体……?」
 明日見には、かつて桂山城と呼ばれた廃墟の、地下第二階層に突入して以降の記憶が途切れていた。
 それから後は、何だかとても長い夢を見ていた様で、自分でも今ここに横たわっている理由が思い当たらなかった。
「うん。多分、魔物の幻術に惑わされたんじゃないかな」
「魔物の、幻術?」
「そう。この辺を徘徊している魔物達には生身の体を持っていないから、人に対して物理的な危害を加えるのはとても難しいんだ」
「そうなの?」
「魔物って言っても、元は人の寿命が尽きて肉体から自由になった魂だから。死した魂は本来なら常世の国へ赴くべき所を、様々な原因から黄泉路の国へと下ってしまう者も一部はある。そうして魔物と化してしまった魂が、新たな餌食を求めて時々人の世界にも紛れ込んでくる」
「それは、さっきも聞いたよね」
「そうだったね。それで、魔物が物理的な力で人に干渉するには相当の能力が必要とされるのだけど、人の精神に直接影響を及ぼして、例えば魔物にとって都合よく作り上げた幻を人に見せる事で、人を思いのままに操る方法なら意外と容易い。それに、魔物の幻術への耐性が乏しい人に対してなら、僅かな力で大きな効果を上げる方法でもある」
「それで、幻術という訳? 確かに私は夢を見ていた様だけれど、幻術などという怪しい術に陥れられていたとは……」
 明日見は、つい今し方まで自分が見ていた夢を回想しつつ、その内容を掻い摘んで尚正に語り始めた。
 そこは、数で圧倒的に勝る敵軍の猛攻を受けている城の中、城主以下家臣一門は既に自らの呪わしき運命を受け入れる覚悟も固め、目前に迫った最後の時をむしろ泰然自若といった面持ちで迎えようとしていた。
 そんな中で、彼らにとってたった一つの運命に抗う手段もまた、同時並行して隠密裏に進められていた。
 城主の子供達を戦場から脱出させる事。
 この作戦を成功させるには、時機の見極めが重要な要素であった。
 余り早くに城を抜け出させて、敵軍に察知されては元も子もないし、かといって手遅れにする訳にはいかない。
 敵軍が程なく城内に攻め入るという絶妙の機会に、城の地下に設置されている極秘の通路を用いて脱出しなくてはならない。
 そして、脱出した子供達には身代わりを立てて、あくまで城主の子として果ててもらわなくてはならない。
 そうしない限り、仮に子供が城を脱出したとしても、すぐに追っ手が差し向けられる事は日を見るよりも明らかだった。
 城は、当初の想定よりも呆気なく侵攻軍の入城を許し、城主の子供達はまさに戦場のすぐ脇を駆け抜けて秘密の地下道へと向かう。
 そして、子供達に付き添う一人の兵士。
 結局、追っ手を振り切れないと見た兵士は、途中で追っ手を足止めする為に一人留まり、子供達だけを秘密の地下道へと送り出した。
 まるで、実際にその場で体験した様な実感のこもった不思議な夢。
 明日見の掌には、今でもあの皮鎧の兵士が追っ手を切り結ぶ剣の感触が残っていた。
 明日見自身は、これまでに一度も人を殺めた経験もなければ、剣を握った記憶もない。
 全身が精巧な殺傷兵器とも化す武闘術を修めているだけに、あえて剣を握る必要がなかったという事情はあろう。
 だが、これまで剣とは無縁の人生を送ってきた、女性としては少々大きめの明日見の掌には、剣が人の肉を捕らえた時の感覚が鮮明に刻み付けられていた。
 力技で骨ごと肉を断ち切る時の、ゴリっという奇妙な違和感までもが、今その場で人を切り結んできた様にありありと思い出される。
 夢の中に出てきた皮鎧の男が、己の身を盾にして二人の子供が逃亡する時間を稼いだ時に、何人もの追跡者に剣の刃を立てていた。
 その感覚が、まるで自分自身の体験と見紛うばかりに、現実的な触感を伴って記憶に留められているのだ。
 明日見は、胃の中から密かに競り上がるものを感じて、眉根に皺を寄せて顔を顰めたまま、静かに感情の高ぶりが収まるのを待った。
「もしかしたら、明日見は覚えていないのかな? 突然、俺の背後から襲いかかってきたのだけど」
「そんな……。でもどうして?」
「どうして? それは僕の方が聞きたい位だけれど、明日見の見た夢が、この地下階層に巣食う連中の見せる幻術だとしたら、筋が通るのじゃないかな」
「どういう事?」
「明日見の見た夢の映像を、仮に桂山城の落城を経験した者が、実際に見聞きした映像と考える。その者は既に息絶えて……多分桂山上落城の際に運命を共にしたと思うのだけど、その者の霊が未だにこの辺を彷徨っている、もしくは、一度黄泉路へ下った後に、生前への強い未練に引き寄せられる様にして、魔物と化した後に再びこの地に紛れ込んだとも考えられる。桂山城の落城は李朝成立直後の筈だけど、それ程の長期間に渡って、死した肉体から抜け出した無垢のままの魂が人界に留まり続ける例を、僕は知らない。だから、どちらかと言うと魔物と化してしまった哀れな魂が、今なお桂山上落城における李帝の理不尽な振る舞いに対する憤りゆえに、この地に惹きつけられてしまっているのだと思う」
「そして私は、その魔物の憤りの根源である映像を見せられ、惑わされて、背後から尚正を襲った……そういう事?」
「そうだね。もし魔物の正体が、かつて桂山城と運命を共にした兵士の魂だとしたら、今こうして部外者の僕達が、桂山城の地下をうろついているのは目障りだろう。その、兵士……」
「逃走した子供達の盾となった、皮鎧の男?」
「そう、その皮鎧の男ーーどうも僕には、その男が一連の怪異現象の重大な鍵を握っている様な気がして来たよ」
「それは又、どうして?」
「明日見の見た夢ーーつまり幻覚がそう示しているとしか言えない。恐らく、皮鎧の男が一人追っ手の前に立ちはだかった時、その時の意識が明日見の潜在意識に共振して、突如僕を襲う様な行動に駆り立てたんだろう。あの時の明日見の動作には、キレがなかったからな」
「キレ?」
「瞬発力不足というか、最初に地上階層で明日見の不意打ちを受けた時の、キビキビ感に欠けていたんだ。だから、明日見が幻術に惑わされた可能性はすぐに思い当たったし、意識が朦朧とした夢見心地の明日見では、僕を仕留めるにしては少々役者不足だった。おかげで、僕も明日見も殆ど損害なく事を収められたのだけど」
「なるほど。確かに、意識朦朧のままで尚正を倒すのは難しいでしょうね。という事は、魔物の側にも誤算はあったんだ」
「まぁ、そうなるな。相手が特別な鍛錬を積んでいない男ならば、半ば酩酊状態の明日見でもあっさり息の根を止めていた可能性はある。が、僕は生憎とそれなりの鍛錬を積んでいたのでね」
「ごめん。何だか迷惑ばかりかけているみたいで」
「否、明日見の力量は最初に手合わせした時にある程度把握できていたし、その上で明日見ならば同行を許しても良いと判断したのも僕なんだから、何も謝る必要はないよ。それに、こういう事態は予め想定していないではなかった。まぁ、外から眺めただけでは、こちらにも分からない部分は出て来るから、敵さんの出方を窺った部分もある。その結果として、明日見を餌代わりに使わせてもらった格好になるけれども、『無断で勝手な』とは咎めないでもらえるかい?」
「そんな、咎めるなんて。確かに今からそうやって順序だてて話を聞けば、面白くない部分もあるけれども、もとより私は魔物とか人外の者には疎いのだから、尚正の指示に従うよりないのだけど」
「そこでだ。明日見に尋ねたい事があるのだけど、いいかい?」
「えぇ。私で答えられる事であれば」
「僕が聞きたいのは、それ程難しい事じゃない。明日見がなぜ、李朝時代などに興味を抱いて、どの様にして知識を得たのか……という事なのだけど」
「なぜ?」
「なぜって、明日見はまだ少女といっても充分通用する年頃なのに、女だてらに武術を修め、この世の中では一部の専門家か奇特な研究者を除いては興味を示さない李朝時代の知識を携え、またこうして李朝と因縁浅からぬ廃墟を訪れる??誰が考えても普通の人間じゃないと思える。少なくとも、明日見と同じ年頃の娘とはかなり違う。そこで、あるいは明日見の来訪とこの廃墟の怪異に関連でもあるのか……と、疑問に思ったのだけど」
「それを言うなら、尚正だって、私が始めて聞く退魔士を生業としていて、武術も使えれば、一種の神通力も修めている。年頃も私と五つまでは違わないと思うけれども、その若さで。李朝に関する知識で言えば、尚正の方が詳しそうだし」
「なるほど、お互いに素性を明かし難い事情があるらしい。僕が武術や神通力を修めているのは、それが退魔士を務める為に必要な能力だからだ。李朝に関する知識も同じで、少なくとも僕が今までに関わった怪異の九割までが、原因を辿ると李朝時代に遡れる。ほんの十数年という極めて短命な帝ではあったが、様々な悪意の種を振りまく罪深き帝だったという事だ。だから、李朝時代に精通するのは退魔士という職業上不可欠の知識だからであり、この職業を生業とすれば誰もが必要に駆られて自然と身に付ける知識でもある」
「目に見えない魔物とかの世界でも、李朝の悪政の影響を受けているんだ」
「下界と天界とは、ちょうど合せ鏡の様になっている。だから、天界の影響は下界に及ぶし、その逆もある。ましてや、魔物も元は人の魂が黄泉路の国へ下って変化したものだから、下界の影響はかなり色濃く受けるのさ。さぁ、僕の話せる事は話したのだから、明日見も話してもらえるかな?」
「ーーわかった。私が李朝に関する知識を授けられたのは、ここより東の果てにある辺境の町に住む老師に、教えを請うたからなの」
 明日見は、辺境の東辺(とうべ)町に住む少年慶太(けいた)に助けられた事、慶太の保護者である代峰(たいほう)老師に李朝時代についての個人教授を受けた事、また、明日見が町のならず者との諍いを抱えてしまった煽りを受けて、代峰老師の小屋は焼かれ、慶太は奴隷商人に売り払われたらしい事、明日見は、慶太を取り戻す為に奴隷商人の行方を追っている最中である事などを、掻い摘んで尚正に説明した。
「それで、なぜ李朝時代に関心を持ったのか……なのだけれども」
 明日見は暫し逡巡した末に、懐から使い込まれた小刀を取り出して、尚正の目の前に差し出した。
 本当は、李朝金貨にまつわる挿話の方が、李朝時代に関心を引かれた理由としては大きいのだが、それを話すと李朝金貨の入手先について触れざるを得なくなる。
 李朝金貨の入手先に触れると、必然的に明日見の素性について触れざるを得なくなるーーそれだけは、相手が誰であっても明かす訳には行かないのだ。
「その懐刀は、私の母の形見なのだけれども、柄の部分の文様を見てもらえる?」
 尚正は、明日見に促されるままに、懐刀を手に取り、文様の部分に視線を傾ける。
 瞬間、尚正の瞼がピクリと反応した。
「代峰老師に、『その文様は、かつて李帝と覇を競った巽晶の第一の側近といわれた大乗家の家紋ではないか?』と、指摘されたの。私は幼い頃に母と生き別れになってしまったから、その様な指摘をいきなり受けても戸惑ってしまったけれども、それが自分の素性を知る手掛かりになればと教えを受けたのだけど」
「なるほど……すると、明日見は当時根絶やしにされた筈の大乗家の数少ない生き残り……という訳か」
「いえ、私が大乗家の血を引く人間かどうかはわからないけれども、母の形見からはその可能性を思わせるーーそれだけ」
 明日見は大切な懐刀を再びしまい込むと、意を決したとばかりに軽く頷いて、尚正に切り出した。
「それから、私がこの廃墟を訪れたのには、さっき言った理由以外に、もう一つあるの」
 明日見は、この際思い切って覚悟を決めて、明日見に付きまとい続けている物の怪について、尚正に尋ねてみる事にした。
 現時点ではこの廃墟の怪異の原因ははっきりとはしていないが、尚正の話を聞く限りではかつての『丸賀反乱事件』との関連を窺わせるものの、未だに確証を掴んだ訳ではない。
 それに、尚正がその道の玄人であれば、何かしら有益な情報が得られる可能性もあった。
 明日見は、例の物の怪との関わりから、つい先ほどもこの廃墟内に出現した事までをも含めて、尚正に掻い摘んで説明した。
 尚正は少し俯きがちに、沈黙を保ったまま明日見の話に聞き入っていた。
「つまり、その物の怪と、今回の怪異現象に何らかの関連があるのではないか??私にとっては、それが最も気になる部分だったの」
「なるほどね。少なくとも、今僕が見立てる限りでは、明日見には魔物の影も、かつて魔物に憑依された痕跡も確認出来ないな。だから、少なくとも明日見の言う『物の怪』は、この廃墟の怪異とも直接の関係はないし、魔物の類いとは別の存在なのかもしれない」
「そう。もしこの怪異にあの物の怪が関与していたら……と、実は気に病んでいたのだけれど、尚正にそういわれると多少は安心できそう」
「ただ……」
 尚正は言いかけて、ふと言葉を濁らせた。
 尚正にしては珍しく、どこか戸惑っている様な、言いよどんでいる様な、何とも釈然としない態度であった。
が、明日見が『どうしたの?』と問いかけようと口を開きかけた矢先に、尚正が言葉を継いだ。
「はっきりとは言えないのだけど、明日見からは何か強い力を感じるんだ。まだ何の方向性も与えられていない、真っ白のままの無垢の力を……」
「力?」
「強い力といっても、目に見えている部分は強くはない。まるで強い力の塊を真っ黒な布で覆い隠している様な印象なんだ。それが例の『物の怪』と関係あるのかまでは、今のところははっきり言えないけれども、時を改めて詳細に見立てれば、何かしら分かる事もあると思う。でも、今の話の様子だと、明日見には余り時間がないのだろう?」
「そうね。慶太を探し出さなくてはならないし、それ以外にも、さっき話したならず者に絡んで、女の子を救出しなくてはならないの」
「それはまた、随分と忙しそうだな。もし僕が一般庶民ならば、『その様な厄介事は治安部隊に委ねればいいのに』と疑問を持つ所だけど、残念ながら、この東晶共和国の『安定した治安』という神話も、そろそろ崩れかけているようだからね」
「そうなの?」
「僕は、過州北部から過州街道沿いに南下してここまで辿り着いたのだけど、全体として治安部隊の箍が緩んでいる印象を受けるんだ。もちろん、町によっては未だに機能している治安部隊もあるけれども、かなり問題のある治安部隊も存在する。これは実際に僕が肌で感じた印象に過ぎないから、その裏に隠された治安部隊の事情は推測するより他にない。でも、明日見もここまで旅をする中で、それぞれの町の治安部隊によって質に偏りがあるとは感じなかったのかい?」
「そうね。そういわれてみれば……」
 明日見の頭の中には、東辺町で世話になった治安部隊の公亮隊長と源蔵の顔が浮かび、隣の野平町の治安部隊の不甲斐なさに苛立たされた事を思い出していた。
「治安部隊の中で、いや、この国のもっと中枢の部分で、何かの異変が起こっている。だから、僕はこのまま晶都へ足を伸ばしてみようと考えているんだ」
「私も、晶都へ行くかどうかはまだ分からないけれども、少なくともこれから州境の杵柄(きねづか)町に向かうつもり。さっき話したならず者から、女の子を取り戻さなくてはならないから」
「そう。だったら、ここで余りゆっくりと雑談に興じている暇もなさそうだな。明日見はもうそろそろ大丈夫なのかな?」
「ごめん。体の方は、もう大丈夫だから」
「うん。そうしたら、魔光蝋(まこうろう)を持って」
 尚正が傍らの床に置かれていた魔光蝋を明日見に手渡すと、そのままふと立ち上がった。
 それを合図と、明日見も連れて立ち上がる。
「いよいよ次の階層には敵の親玉が待ち受けていると思うけど……」
 尚正が懐に手を入れ、小さな布袋を取り出した。
 その中には更に小さく折りたたまれた油紙が幾つか入っており、油紙の中には黒っぽい玉の様な物体が入っていた。
 大きさは小指の先ほどだろうか。
「これは、飴玉の様な物だけれども、適度な刺激が幻術の攻撃から守ってくれると思うから、口の中で転がしておくといい」
 尚正に言われるがままに、飴玉状の正体不明の物体を含んだ明日見の口内には、舌をピリピリと刺す様な適度な刺激が徐々に広がっていった。

(続)

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