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継帝記異聞録

廃墟の怪 - 7

 突如目の前に現れた影に向かって、明日見は反射的に手刀を叩き込んでいた。
 しかし、一瞬手応えを感じたかに思えた明日見の攻撃を、相手は何の躊躇も無く払いのける。
 ーー出来る!
 とっさに明日見は背後に飛び退って、一旦謎の人物との間合いを取った。
 相手の反撃を交わしつつ体制を立て直し、また、相手の力量を測る為に出方を窺うべきだと判断したからだ。
 突然目の前に現れた相手に虚を突かれた側面はあるものの、攻撃のタイミングは明らかに明日見の方が早かったし、狙いも正確だった筈だ。
 元々男性と比べれば体格的、体力的な格差は埋め様が無かっただけに、反射神経の鍛錬は特に意識していたし、単発で与えるダメージでは男性の後塵を排しても、敏捷性を生かして相手の攻撃をかわしつつ、自分は二度三度と繰り返し相手の盲点を突く…それが女性でも手だれた男性に打ち勝つ明日見流の武闘術だった。
 武闘術の心得の無い相手に対しては言わずもがなだが、たとえ武闘術を修めた相手であっても、持ち前の敏捷性を活かして相手の先手を打つ事で、これまで自分の身を守ってきたのだ。
 しかし、第一撃こそ加えられたものの、この相手は明日見の動きに反応する敏捷性も、明日見の攻撃をあっさりといなしてしまうだけの武闘術の心得も、共に兼ね備えているのだ。
 世界は広大であり、その中に無数の人々が暮らしているのだから、上には上がいる事を考えなくは無かったが、今ここでそういった相手に遭遇しなくてもよさそうなものを…。
 明日見は、自分の運の無さに内心密かに舌打ちしたが、『どうにかしてこの難局を潜り抜けなくては…』と思い直して、相手の隙を窺うべくその一挙手一投足に全神経を集中した。
 一方の相手は、明日見に対して反撃に出るでもなく、かといって突然の攻撃に驚いたとか、怯えていると言った風にも見えず、それどころか緊張感すら全く感じられなかった。
 明日見の渾身の第一撃に対しても、しつこく付きまとう虫を追い払った程度にしか意識していないのではないか…と、傍目には思えてしまう。
その人影は男だった。
 明日見と同年代かやや年上と言った所なのだろうが、この場に似合わぬ、どこか少年っぽいあどけなささえ垣間見せる容貌と、周囲を覆っている独特の存在感と言うか、威圧感の様な雰囲気とのアンバランスが、明日見にとってはどことなく不可解であった。
 背丈も、女性としては高めの明日見よりも更に拳一つ分くらい上回っていが、明日見と比べても華奢と言う表現がしっくり来るほど細く見える。
 一見する限りでは、どう見ても近隣の町を荒し回るならず者や、お尋ね者の盗賊団の一味と言った胡散臭い連中とは無縁に見えた。
 その一方で、子供っぽくも見える外見にそぐわない隠然たる雰囲気は、相手が見かけと違って只者ではない事を強烈に印象付けた。
 ーーこの男は何者? どうしてこんな所へ…。
 明日見の脳裏にもっともな疑問が浮かんでくる。
 まるで、そんな明日見の心の動きを読み取ってでもいるかの様に、男が静かに口を開いた。
 「僕はこの廃墟に巣食う怪奇現象の主でもないし、盗人や山賊、ならず者でもないんだから、いきなりの手痛い歓迎は勘弁して欲しいな」
 言葉とは裏腹に、咎める様な口調でもなく、口元に薄っすらと笑みさえ見え隠れする男の表情に、明日見の戸惑いは更に深まってゆく。
 ーーこの男、一体何のつもりで…。
 明日見は尚も男の動きを一瞬でも見逃すまいと、全神経を集中して睨みつけていたが、曰くつきの廃墟に突然現れた、この場には余りに不釣合いな男の風体や表情に、どう対応すべきか態度を決めかねていた。
 よくよく注意してその顔を見れば、無表情であれば端正という表現こそ相応しい、まるで神話時代の神々の石像か肖像画から直接飛び出してきた様な、中性的な整った印象を与える顔立ちだが、持ち前の愛嬌のある笑みを浮かべると途端に愛らしさか満面に満ち溢れると言った、見栄えと言う点においては大層恵まれた男だ。
 体つきもただ細いというだけでなく、見慣れないデザインの衣服の裾から覗く四肢を垣間見れば分かる様に、適度に鍛え上げられて無駄な物が殺ぎ落とされて引き締まった…という表現が適切なのだろう。
 それなりの経験と鍛錬を摘んだ身でなければ、明日見の攻撃をいとも呆気なく交わせる筈がないのだ。
 ーーいずれにしても、相手には当面私と拳を合わせるつもりはない。
 そう感じた明日見は、それでも眼前の相手に対する警戒は怠るつもりが無かったが、いつ何が起こっても対処出来るように神経を研ぎ澄ましつつも、とりあえず格闘の構えだけは解いて見せた。
 「ふうん。何で女の子がこんな所にいるのかと思ったけど、結構強いんだ」
 「一体あなたは誰なの? 確かに盗人やならず者には見えないけど…」
 「僕かい? 僕は退魔師(たいまし)さ。葛川(つづらがわ)町の役場から依頼を受けて、廃墟に巣食う魔物退治に来たんだ」
 「退魔師?」
 「あぁ。この世ならざる存在である魔物の退治を生業とする人の事さ」
 「本当に? そんな職業は今までに聞いた事もないし、そういう役目なら本来は寺院の扱う範疇の問題でしょ?」
 「まあ、それはそうなんだけど、だったら寺院はこの廃墟で起きている騒動に対して何をしたんだ?」
 「それは…」
 明日見は返答に窮して口篭った。
 男の言う通り、現在の俗化が進んだ寺院にその様な役目を期待するのは見当違いだったし、魔物に対峙する能力を持つ僧侶が未だに存在するとは考え辛かった。
 しかし、この世ならざる存在に僧侶が対応出来ないのなら、ましてやそれ以外の庶民にどうにか出来る問題ではないだろう。
 だと言うのに、この男は一体…。
 「それに、僕にはそういう魔物を退ける為の力と技術があるからね。そう言っても信じられない人が大半なのは良く分かっているし、どうしても疑うなら葛川町の役場との契約書を見せれば納得してくれるかい?」
 そう言って男が懐から取り出した厚地の紙には、確かに契約書らしき書面が見受けられたし、葛川町の役場の人物のものと思しき署名も刻まれていた。
 明日見には葛川町役場が発行する公式の書面など知る由もなかったが、その紙には本物の契約書らしき体裁が整っている様に見えた。
 「ところで、そういう君こそ、何でこんな所に一人きりで潜り込んでいるんだ?」
 今度は明日見が疑われる番だった。
 明日見がこの男に有らぬ疑いをかけるならば、反対に男が明日見にその様な疑いを持っても不思議ではない。
 確かに、考え様によっては明日見が怪しまれる理由にも事欠かなかった。
 女性がたった一人で曰くつきの廃墟に足を踏み入れている事、しかも女性には珍しい武闘術の使い手である事。
 もちろん、男に当面の敵意が無い事は明らかだったし、尤もらしい素性やここを訪れた目的についてもそれなりに辻褄の合う説明をしていたから、むしろ疑わしき立場に立たされたのは明日見の方だった。
 別にこの男にあらぬ疑いを掛けられたからと言って、明日見にはそれを気に病む理由など無かったが、『廃墟を基点として発生する怪奇現象の原因を突き止める』という目的を達成するには、とりあえずこの男に怪しまれるのは好ましくない。
 男の言葉に嘘が無ければ、明日見と男の目的は同じ所にあるのだし、葛川町からの正式の依頼ならば、何かと役に立つ情報を持っている可能性もある。
 それに、男にも武術の心得がある様に見受けられるから、仮に緊急事態に巻き込まれても足手まといになる様な事はあるまい。
 様々な思惑を考慮した結果、明日見はこの廃墟に足を踏み入れる事になった経緯を掻い摘んで男に説明した。
 州境の杵柄町へ向かう途中、雨宿りをさせてもらった近隣に住む老婆に、この廃墟を中心として繰り返される怪異の話について聞いた事、老婆に世話になった上に、近隣住民が迷惑していると聞き、自分が役立てるなら解決に尽力したい…そういった自分の思惑について包み隠さず明らかにした。
 もちろん、これまでの例の物の怪とのトラブルに関わる話から、つい先程もその物の怪が出現した件については伏せておいた。
 この男が退魔師というなら、或いはその様な小細工は通用しないかもしれないが、特に今は魔物とか物の怪との関わりで疑いを持たれるのはやり難かったし、出来れば面倒な事態は避けたかった。
 「へぇ。君はその程度の事に恩義を感じて、頼まれもしない魔物退治に関わろうだなんて、随分律儀と言うか、親切と言うか、物好きな人なんだ」
男はそう言って怪訝な…というか人を値踏みする様な悪戯っ子の表情を浮かべたが、更に問いつめるでも無く、あっさりと聞き流した。
もちろん、明日見には男の心の内を覗き見る手立ても無いので、男がそのまま納得してしまったのか、何らかの疑惑を抱きつつも別の思惑があるのか、そこまでは想像もつかない。
 「つまり、目的は僕と同じ…って事か」
 「そうなる…かもね」
 男は軽く頷くと、何を思ったのかいきなり表情を引き締めて明日見の目を直視した。
 普段はどこか笑みを浮かべた様な愛らしさが付きまとっているが、こうして真剣な表情になると、確かにそれなりの経験と鍛錬を積み重ねた者だけが持ちうる独特の凄みを感じさせる。
 そういった側面を垣間見ると、『やはり只者ではない』と、明日見は改めて実感するのだ。
 「一応この分野の専門家として言っておくけど、この世以外の世界や魔物に関する正確な知識の無い人にとって、ここは少し危険な場所だと思うんだけど、僕がここで『危険だから引き返せ』って忠告しても、帰る気はないよね?」
 「もちろん。引き返すくらいなら、最初からこの様な所へは来ないし…」
 「…まぁ、そうだよね。だったら、せめてこの廃墟の中では僕と行動を共にする事を約束してくれないか? 君は女の子にしては珍しく武術もそこそこ使えるみたいだけど、相手はこの世の者じゃないんだから、武術が魔物に通じるとは思えない」
 明日見は男の言葉に無言のまま頷いた。
 明日見にとっては専門外の魔物退治に、実力の程は定かではないとはいえ、専門家を自称する者が同行してくれると言うのだから、明日見にとってはむしろ渡りに船と言った状況であった。
 仮に男の能力が口ほどではなかったとしても、武闘術の心得はある様だから、それでも条件は明日見と五分五分だ。
 ある程度信頼が置けるのであれば、腕の立つ同行者の存在は心強い。
 何となく話がまとまってしまうと、明日見にはぜひとも確認しておきたい事がある。
 「あの、一つ聞いてもいい?」
 「何?」
 「この城がなぜ廃墟になったのか、経緯を知っていたら教えて欲しいのだけど…」
 「そんな事も知らないでここに来たんだ」
男は再び笑みを浮かべ…といっても、いかにも呆れたといった表情だったのだが、だからと言って言葉ほど気分を害した風にも見えない。
 「まぁ、僕だってこの仕事を受けるに当たって、ある程度の事は調べちゃいるし、別に誰かに話して害になる内容でもないから、僕の分かる範囲内でなら話してもいいよ。…といっても、この話は少々複雑だし長いから、余程の物好きでもなければ飽きちゃうかもしれない」
 「でも、怪異現象と関係があるのでしょう? だったら話してもらえる?」
 「そこまで言うなら、話すのは構わないけど…えっと、名前は?」
 「明日見」
 「明日見っていうんだ。僕は尚正(なおまさ)だ。ところで、明日見はもう城壁の上の方は見て回った?」
 「いえ、まだだけど…」
 「僕は今一通り見て回っていた所なんだけど、もし見て回りたければ案内するけどどうする? この城にまつわる話は城壁を見回りながらって事でどう?」
 「結構時間がかかるの?」
 「まあね。それに、城の地上部分には危険な所は無いから、そういう話をしながら見て回っても安心だし」
 「危険な所は無いって?」
 「この城には広大な地下通路があるのだけど、魔物の本体は地下の最下層に巣食っているらしい」
 「だったら、早く地下へ降りた方が…」
 「まぁ、そう焦らないって。魔物と対決するにはそれなりの手順ってものがあるし、明日見がこのまま付いてくるつもりなら、僕の作った結界に馴染んでもらう必要があるのだから」
 「結界って?」
 「簡単に言うと、僕の精神的な力が作り上げた、一種の殻というか盾の様なものだと考えればいい」
 「精神的な力の盾…ね」
 「あるいは、縄張りを持つ野獣が、自分の縄張りである事を強調する為に行なう『匂いつけ』の様なものだといった方が近いかな。実は、僕がいきなり地下に向かうのじゃなく、先に安全だと分かっている城壁をくまなく回っていたのも、予め自分の結界を張っておいて、相手の力を封じ込めたかったからなんだ。このお札を使ってね」
尚正が手にしていた『お札』とは、掌に収まってしまうほど小さく細長い紙片の束だった。
 一見単なる紙切れとしか思えないが、表面に何らかの文字が刻まれている。
 「知らない人にはただの紙切れにしか見えないだろうけど、この紙には僕の精神的な力…つまり神通力の匂いを沁み込ませてある。これを城壁の壁に貼り付けていく事で、いわば精神的な僕の縄張りを作るんだ」
 「縄張り…ねぇ…」
 「僕にとっては居心地の良い場所だけど、それ以外の人や生き物、もちろん魔物の様なあの世の存在にとっても、特に僕と精神的な波長のズレが大きい相手ほど、強い違和感を覚える筈だ。だから、部外者の侵入を退けたり、逆に部外者が侵入すると生じる結界の乱れが僕に伝わるから、予め不審者の接近を察知出来る。明日見がこの城に入ったのも、結界に引っかかったからわかったんだけどね」
 「なるほど」
 明日見には退魔師という生業についても、結界についてのイメージも曖昧としていて掴み辛かったが、結界が何かと役に立つ便利な道具である事だけは理解出来た。
 明日見自身も一般庶民よりは人の気配を感じる能力に優れていたが、それを更に拡張したのが結界なのだろう…と、自分なりに理解していた。
 「おっと、こんな所で立ち話をしているより、さっさと城壁を見て回ろう。結界を張っている途中で降りてきたから、最上階はまだ結界の張り方が不完全なんだ」
 城壁の隅に設けられた階段に向かって尚正が踵を返すと、明日見もすかさず後に続く。
 一旦は自分の運の無さを密かに嘆いた明日見ではあったが、実は自分に背中を見せて先を行く男は、意外と役に立つかもしれない…もしかしたらある意味幸運なのかも…と、微妙に考えを改めつつあった。

(続)

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