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継帝記異聞録

廃墟の怪 - 2

 「灰人さん。物資調達班の連中と一緒に、関所の向こう側まで行って来ました。関所の治安部隊は、この身分証に全く何の疑いも持っていなかったみたいで、あっさりと簡単に通してくれました」
 呆六は部屋に入るなり、部屋に備え付けのテーブルで一人書き物をこなしていた灰人に軽く会釈すると、先程灰人に言いつけられた用件が無事終了した事を告げた。
 「そうか。その様子だと、商業目的の通行証の方も問題なかった様だな。特に、呆六君に渡した身分証は値が張ったから、そう簡単に偽造が見破られても困るのだが、身分証の偽造精度もある程度信用して良さそうだな」
 「関所の向こう側の連中とは、*夕の六点刻(午後六時頃)にもう一度待ち合わせる約束をしてありますから、それまでには宿を決めておくそうです」
 「分かった。向こう側の連中とのコンタクトは、明日見クンがこの町に辿り着くまでの間は呆六クンに全てを任せるから、当面は毎日朝夕の二度、こちらと向こうを往復してもらおう。それで何か問題が発生したらボクに報告だ」
 「はい」
 灰人は、呆六の報告に満足した…といった風に、戻って来た呆六に始めて視線を向けると、それまで書き物をしていた手を止め、鉛筆とノートをそそくさと片付け始めた。
 「それから、戻って来たばかりで悪いが、夕刻までにはまだしばらく時間があるから、ボク達もこの町の様子をざっと見ておきたいのだが、その間に人質の監視を頼みたい」
 「分かりました」
 「人質は隣の部屋にいる。昼食には少々遅い時間ではあるが、少し前にボクの名前で人質用の簡単に摘める軽食を頼んでおいた。階下の食堂に取りに行けば、そのまま部屋に持ち出しても構わないそうだから、持って行ってやってくれたまえ。その時に隣室の二人と監視を交代すればよい。呆六クンも昼食はまだだろうから、小腹が空いていたら一緒に摘むといい」
 呆六は、再び部屋を出る時に、灰人からは見えない様に背を向けた状態で、一瞬だけニヤリと口元を綻ばせた。
 いつか機会があったら…と、以前から狙っていたチャンスが、こんなに呆気なく、わざわざ向こう側から転がり込んで来るとは…と、内心ガッツポーズを取りたい気分だったのだが、さすがにそこまでの大胆さを呆六は持ち合わせていなかったし、ここで不用意な反応を示して、又しても灰人に自分の心の内を見透かされるのも、余り気分のいいものではなかった。
 呆六は、あの人質の小娘を帯同する様になって以降、どうしても一度ゆっくりと話をして見たかったのだ。
 なるべく平然を装いながら…と意識すればする程、返って浮き足立ってしまい、無意識のうちに鼻歌まで漏らしてしまう。
 傍から見ても、『明らかに普段の呆六とは違う』と明確に見分けられる程そわそわした素振りの呆六は、そのまま一旦階下の食堂で大きめの皿に体裁良く盛り付けられた軽食を受け取り、取って返して勇躍人質の娘の待つ部屋へと向かう。
 先程灰人がいた部屋の隣室に入り、それまで人質の監視に当たっていた二人を、半ば追い出す様に入れ替わると、ベッドと小さ目のテーブルだけが備えられただけの、こじんまりとした質素な部屋に呆六と人質の少女だけが残された。
 人質の少女…逢蘭は、それ程豪華ではないが程よく弾力性もあって小奇麗なベッドの隅に腰を下ろしたまま、呆六の来訪など全く認識していない…といった様子で、俯いたままピクリとも動こうとしない。
 呆六にとっては、そうした逢蘭の態度が気に入らなかったが、人質である女の子と攫った側である自分との関係を考えれば仕方がないと、強引に引き攣った作り笑いを浮かべながら、ぎこちなく話し始めた。
 「お前、腹減ってないか? 今はもう昼飯には遅い時間だけど、気軽に食べられる物を持って来たんだ。俺も食うから、一緒に食えよ」
 手にした皿を、俯いたままの少女の視線の先に差し出すが、逢蘭は心ここに在らず…といった様子で、呆六に対してまるで反応を示さない。
 呆六は少々ムッとして唇を尖らせたが、尚も辛抱強く自重して言葉を継ぐ。
 「別に毒なんか入っちゃいねぇって。ほら、俺だってこうやっておんなじ物を食ってるんだから…」
 呆六は、何とか逢蘭の張り詰めた警戒心を解きほぐそうと、ちょっと道化た仕草を見せつつ皿の物を摘んで見せるが、相変わらず逢蘭は呆六の声も耳に入っていない様に無視し続けている。
 幾ら俺が少女を連れ去った集団の一員とはいえ、ここまで無視するのはちょっと酷い…と、呆六の意外にデリケートで脆い心は大いに傷ついていた。
 しかし、『どうしても少女と言葉を交わしてみたい』という呆六の強い思いは、普段なら大いに落胆する程の精神的なショックを上回っていたから、もう一度だけ…と、大きく深呼吸して気分を落ち着かせると、逢蘭を宥める様にゆっくりと言葉を吐き出す。
 「そりゃぁ、これまでの成り行き上、止むを得ずお前をこんな所まで連れて来ちまったけど、元々この件にお前は関係なかったんだから、明日見さえ捕まえたらちゃんと返してやるって」
 先程の灰人の言葉もあったから、本当に少女を元の家に帰してやれる保証なんて微塵もなかったが、少なくとも呆六の気持ちとしては嘘ではなかった。
 少しでも少女の気を引きそうな事を言おうと、呆六なりに精一杯考えた上で出て来た答えだ。
 しかし、逢蘭はそれにも俯いたまま、まるで呼吸まで停止しているみたいに無反応だった。
 「畜生! そんなに俺の事を無視しやがって…。他人がせっかく気遣って食べ物まで持って来てやったってのに…」
 余りに呆六の存在そのものを無視し続けている逢蘭の様子に、思わず苛立ちが募って口調を荒げると、逢蘭は目蓋を大きく見開いて驚きの表情を浮かべ、次いでやや伏し目がちに呆六の顔色を伺いながら、おずおずと目の前の皿に手を伸ばした。
 「驚かしてごめん。でも、ずっと無視し続けてるお前だって悪いんだからな」
 呆六は、やっと少女が自分に対してまともな反応を示してくれたのが嬉しい反面、反応した理由が『声を荒げて驚かした為』という部分が不本意ではあった。
 それでも、今の所二人に間に築かれている、特殊で少々厄介な関係を考慮すれば、じれったいながらも僅かな進歩と、半ば強引に自分自身を勇気付けた。
 「ほら、結構美味いだろう? お前は只でさえそんなに細っこいんだから、毎日食べる物をちゃんと食わないと大きくなれないぞ?」
 しかし、そんな呆六に対して逢蘭が始めて発した言葉は、呆六を戸惑わせるに充分だった。
 「あの、私をちゃんと返してくれるって、本当ですか?」
 「それは…、明日見次第って事になるけど、お前みたいな子に危害を加えたり、傷付けたりする訳がないだろう?」
 呆六は、自分自身が発した言葉に自信がなかった。
 例え明日見を無事捕らえられたとしても、最終的に少女の運命を決めるのは灰人なのだし、呆六が灰人の決定に異論を唱える可能性は万に一つもなかった。
 その、余りにも明白な事実は、呆六自身が認識しているだけではなく、逢蘭にも表現のしようのない微妙な雰囲気を肌で感じていたから、今更敢えて隠しようもなかったし、慌ててその場を取り繕う意味もなかった。
 しかし、呆六にとっては、自分達が虜として生殺与奪の権限を握っている相手にさえ、自分が果てしなく見下されている様な気がして、それが我慢ならなかった。
 呆六は何とかして、目の前の少女に自分を強く印象付けたかったのだ。
 「でも、私をここまで攫ってきたのは…」
 「だから…、それは事故みたいなもんだ。お前の家に、よりによって明日見が泊まっていたりするからいけないんだ」
 自分でも少々強引で理不尽とも思える屁理屈をすかさず返して、何とか自分達の行なった行為の弁明に躍起になる呆六だが、その様な口先の小細工で簡単に逢蘭を騙せる筈もなかった。
 「でも、明日見さんはいい人です。なぜそんなに明日見さんを…」
 「そんな筈はない! お前はきっと明日見に騙されているんだ。俺は明日見に殴られたし、それに俺の仲間も明日見から散々な目に遭わされているんだから、明日見がいい奴なんて筈がない。それに、灰人さんだって明日見を必要とする理由があるんだから」
 呆六が思わず声を荒げてしまったからなのか、呆六が口走った灰人の名前に怯えたからなのかは判然としないが、逢蘭が敏感に反応して視線を落としながら、思わず身を硬くする。
 女の子の扱いに慣れていない呆六も、『言い過ぎたか?』と、一瞬体が硬直して口篭るが、このままでは逢蘭に妙に勘繰られたまま終わってしまう…と、もう一度気を取り直して一つ深呼吸をした。
 「急に怒鳴ったのは悪かった…。でも、明日見はお前が言う様ないい奴なんかじゃない。お前には決して分からない、俺達と明日見の間の関係というものがあるんだ。もしかしたら、明日見はお前に対して“いい人”を演じていたかもしれないけど、誰に対してもそういう顔を見せる訳じゃない。一般的には“いい人”って言われる人程、実は裏でどんな悪事に手を染めているか分からないって、俺は散々経験しているんだから」
 「でも、明日見さんは私達を助けてくれようとして、色々力になってくれた。それに対して、あなた達は私をみんなの元から引き離して、こんな遠くの町にまで攫ってきて…」
 「だから、それは成り行き上どうしても避けられない事故だって言っただろう? それに、野平町からここまでの一週間だって、俺もみんなもお前を傷つけようなんて微塵も考えなかったし、荷車の振動で体調を崩しやしないかってクッションをあてがったり、出来る限り気を配っている筈だ。旅の都合で多少の不便があるのは分かってくれないと…」
 「私を傷つけないのは、明日見さんを誘い込む為でしょう? 明日見さんが『絶対に私を助けに来る』と思って…。それに、あなた達が明日見さんを捕まえたとしても、それで私を元の家に送り返してくれる訳ではないし…」
 「そんな事ないって!」
 …これだけ言っても信じられないって言うのか!
 幾ら実のない言葉で言い含めようとしても、容易に騙されてはくれない賢い少女に、呆六は苛立ちを隠しきれずに再び大声を上げてしまった。
 しかし、先程呆六が声を荒げてしまった時にも、思わず高ぶってしまった気持ちの勢いに任せて拳が繰り出される…などという物騒な事態には至らなかったから、今度は逢蘭も容易には引かない。
 「でも、仮にあなたはそう思っているとしても、あなたの仲間はそう思っていないかもしれないでしょう? 私にだって、さっきの話は聞こえていたのだから。あの怖い人は、私を元に戻してくれる気なんて全然ないんだって…」
 …やっぱり、さっき街道で灰人さんがしていた話が聞こえていたんだ…。
 幾ら荷車を覆っている厚地の幌が外部の騒音をある程度遮断するといっても、逢蘭もその場にいた事には違いないのだから、灰人の話が逢蘭の耳に届いていても不思議ではない。
 しかし、それを認めてしまうと益々話がややこしくなるし、とにかく『灰人と自分の考えは違う』という部分だけは、逢蘭に理解して欲しかった。
 今その部分を明確にしておかないと、この先ずっと呆六は逢蘭に誤解されたまま、単なるならず者の一員としてだけの眼差しでしか見られなくなる。
 「さっきから『でも、でも…』って、俺の言う事に一々反論ばかり並べ立てて、一体どういうつもりなんだ!」
 呆六も、自分の拙い語学力では、見かけの割にはずっと賢い逢蘭を、自分の思い通りに言い含めるのは不可能と、いい加減嫌気が差して匙を投げそうになってしまった。
 一方の逢蘭は、少なくとも呆六が、自分の言った事を聞くだけはちゃんと聞いてくれると言う事が分かって来たので、自分の偽らざる気持ちをとにかく言うだけは言ってしまおうと必死だった。
 「もしかしたら、あなたは他の仲間の人達や、あの怖い人とは違うのかもしれない。でも、わたしにとってはどちらもただの人攫いでしかありません。あなたは暴力で脅したりせずに、私の話をちゃんと聞こうとしてくれるけれども、そんなに私の事を気にかけてくれて、『私を元に家に戻してくれる』というなら、今すぐに私を野平町に連れて行って下さい」
 「そんな無茶言うなよ…俺にだって俺の都合や立場って奴が…」
 呆六は、余りに大胆な、しかし逢蘭の立場からすれば当然の要求に、何と答えて良いか分からずに口篭ってしまった。
 しかし、逢蘭は呆六の反応を『予想通り』とばかりに、全く表情も変えずに平然と、しかし慎重に用心深く言葉を継いだ。
 「いえ、いいんです。そんな事絶対に無理だって、最初から分かっていましたから。だから、私を余り期待させる様な思わせぶりな態度は、これ以上取らないで下さい。叶う見込みのない期待を膨らませてから裏切られるなら、最初から“駄目なものは駄目なんだ”って諦められた方が、この先どんな辛い目に遭っても多少は我慢出来そうですから」
 逢蘭はそのまま再び俯いて、そのまま深く押し黙ってしまった。
 呆六も、そんな逢蘭にかけてやる言葉が見つからなかった。
 どうやらこの子には薄っぺらなハッタリは通用しそうにないと、これまでの会話の中だけでも充分に思い知らされていたし、少女はこれ以上自分と言葉を交わす気はないのだろうと察せられたから、これ以上無理に話を続けようとしても嫌われるだけだ。
 呆六もそれ以上逢蘭には話しかけずに、二人きりの奇妙な沈黙の時間が流れていった。
 しかし、呆六にはそれなりの収穫があった。
 多分、この子は俺が危害を加える意思のない事だけは、何とか理解して貰えたらしい…と感じていた。
 呆六自身のこの子に対するこだわりの理由を考えれば、まだまだ先行きは長い道程に思えたが、少なくとも先程よりはかなり話し易くなったのではないか…単なる思い過ごしかもしれないが、そんな密かな予感があった。
 …きっと、これから二人きりで話すチャンスは幾らでも訪れるし、今度話す時は、もっと上手く話せる筈だ。
 その時までは、この子の気分を損ねる様な真似は控えた方が良い。
 そして、次に二人きりで話せるチャンスが訪れたら、その時こそ、もっと…。
 呆六の心は、そう遠くない未来に訪れるだろう、再び逢蘭と二人きりで話す時を思って、その時に何を話そう…と、傍らの軽食を摘みながら、心行くまで思いを巡らせていた。
 依然としてベッドに腰掛けたまま、小さく俯いて沈黙を保ったままの逢蘭の思いなどは、全くお構いなしに。

(続)

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