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継帝記異聞録

廃墟の怪 - 4

 連雀にとっては本当に久しぶりの、明日見にとっても野平町を発って以来の賑やかな夕食の時間は、香草の心地好い香りに彩られた幾つもの料理と共に、名残惜しくも瞬く間に過ぎ去っていった。
 一旦夕食の後片付けの為に途切れた和やかな雑談のひと時は、連婆さん特製の香草茶にパートナーを代えて、程なく再開された。
 他愛もない雑談…とはいえ、その大半は連婆さんの若かりし頃、まだ一線級の薬草師として首都に拠点を構え、そこから中原全土を渡り歩いていた頃の、数々の貴重な体験談の披露に費やされていた。
 明日見はその間、殆ど連婆さんの話に口を差し挟む事もなく、努めて聞き役に徹していたが、連婆さんの話に出てくる中原各地の状況には、大変な興味を注がれた。
 明日見もかつて中原地帯に赴く為に通り抜けた迷いの森や、南方を埋め尽くす一面の砂漠を中止とした乾燥地帯、或いは西方遥か彼方にまで広がり、その果てには常世の国があると言われる海に接する海岸地帯、そして、北方の白く冷たい氷の壁が、何者の侵入をも退ける降雪地帯に至るまで。
 目の前の老婆が生き生きと目を輝かせて立て続けに語る話を信用するならば、老婆はこの世界で人の立ち入る余地が残されている、ありとあらゆる土地を訪れていると言っても過言ではないだろう。
 そして、明日見が何れは訪れる可能性のある中原諸州の状況についても、注目に値する幾つもの情報を手にする事が出来た。
 しかし、それらの体験談が全て疑う余地のない事実であったとしても、何れも連雀がまだ薬草師として活発に活動していた若かりし頃の話であり、その話がそのまま現在の中原の状況に当てはまる訳ではない。
 とはいえ、思わぬ場所で予想外に貴重な話を聞く事が出来たと、明日見にとっては予期せぬ収穫であった。
 また、連雀にとってもかつての自分の輝かしい数々の冒険の記憶を、たまたま訪れた旅行者の女性に語って聞かせ、自分の話に熱心に耳を傾けてもらえるのは望外の喜びであった。
 しかし、そうした明日見や連婆さんの意向に関わりなく、時間は容赦なく淡々と過ぎ去ってゆく。
 連雀が、北方の降雪地帯に聳える高峰であり、蓬莱山の一つにも数えられる『白氷(はくひょう)の山』に立ち入った時のエピソードを話し終えた時、既に香草茶を飲み干していた自分の器を片付けながら、ふと明日見に向かって呟いた。
 「それにしても、こんな夜はきっとまた『あいつ』が出るんだろうから、そんな夜に明日見さんがいてくれるのは心強いよ」
 「『あいつ』ですか?」
 「あぁ、今日の様に雨が降った夜には、妖しや物の怪の類いが出て騒ぎ立てるのさ。というか、町の連中はそう言っているけど、私は盗人か山賊の類いが一稼ぎするのに都合がいいっていうので、そんな噂を撒き散らしていると思っているんだけどね」
 『物の怪を目撃した』という者の話によれば、人が寝静まる*明けの一点刻(午前一時)頃、大地の底から喚き立てている様な不気味な呻き声…と思しき雑音が徐々に大きくなる中、どこからともなく突然異形の者が現れるらしい。
 長さ二尺(約三十四センチ)前後の、白とも黄色とも見える光の玉のような物で、自身が不気味に光を発しながらユラユラと空中を漂い、時折急に消えたり、再び突然出現したりと、目撃者を散々驚かせつつ半刻(約三十分)程漂ってから、現れた時と同じ様に黒い闇の中に溶け込む様にして消え去ったと言う。
 目撃者はその光景を目の当たりにして、酷く驚かされて精神的な衝撃を受けたと言う影響は負ったものの、それ以外の実害はなかったのだとか。
 同様の報告例が幾つか寄せられたが、何れもほぼ類似した体験談だったらしい。
 その様な怪異現象に見舞われる直接の原因も、目撃者の共通点も見出せず、まさに原因不明の怪事件として対処する術もないまま、実質的に放置されている状態なのだという。
 「私も散々中原各地を渡り歩いて、大抵のものには動じないつもりだけれども、どうも『目に見えないもの』や『あちらの世界のもの』だけは、とんと苦手でね…」
 連婆さんの意外な告白に、明日見は自身が迷いの森からずっと付き纏われているあの物の怪の異形を思い浮かべた。
 まさか、あの物の怪がこの近辺で人を驚かせて喜んでいるのではないだろうか?
 「『あいつ』と言うのは、いつ頃から現れる様になったのですか?」
 「そうさねぇ…。私がここへ移り住んだ時には、既にそういった噂はあったから、多分十年は越えているのだと思うよ。ただし、その頃はここの北西にある丘に建つ廃墟に出る…という事で、町中にまで降りて来て悪さをするという話は聞かなかったのだけど」
 「北西の丘に建つ廃墟ですか…」
 「私は行った事がないのだけど、聞く所によると、町中からも適度に離れていて人目につき難いし、いい具合に荒れているけど雨風を凌ぐには問題ないというので、後ろ暗い連中が根城にしたり、盗賊のアジトになった事もあるらしいよ。でも、今の様に騒がしくなったのは、ほんの数週間前からって所かねぇ」
 「数週間前…ですか」
 明日見には、あの物の怪の持つ力がどの程度の物か、正直言って図る基準を持ち合わせていないが、あの物の怪の、人を小馬鹿にして弄んで嘲る事に喜びを見出す性格からすれば、不特定多数の町の住民を怪異現象で驚かして嘲っている様子がしっくり来る様な気がしていた。
 それに、怪異現象が激しさを増した時期は、物の怪が明日見に取り憑いたまま、一緒に中原に足を踏み入れた時期とも符合する。
 しかし反面、物の怪は明日見以外の何者かと接触する事、その人界に有るまじき異形を晒される事を避けている様にも感じられたし、第一、ここから二百里(約千キロ)も東方に隔てられた東辺町にいる時に、同時にこの近辺で密かに悪事を企んでいるとは、普通の人間の感覚ではにわかに信じられなかった。
 その点、明日見は度重なる物の怪との回合を経て、多少は物の怪の生態についても把握しているつもりではあったから、『あの物の怪ならば、瞬時に二百里を飛び越える怪異を行なったとしても不可能ではない』と踏んでいた。
 …それにしても…。
 「それで、治安部隊は何と言っているのですか?」
 「治安部隊? あぁ、まるで頼りにはならないよ。一時は『不逞の輩が潜り込んで悪事を巡らせているかも…』って事で調査に出掛けた様だけど、何も疑わしき痕跡を見つけられずに戻って来たらしいね。それでも怪異現象が収まらない…っていうんで、治安部隊に文句を言った住民もいるみたいだけど、『物の怪騒動は治安部隊の管轄外だ』といって、取りつくしまもなく追い返されたそうだよ。その気持ちも分からなくはないけど、治安部隊だって住民の安全を守る為にあるんだから、もう少し言いようがあると思うんだけどね」
 野平町での一件があったばかりだから、まさかとは思ったけど…やはりこの町の治安部隊も余り頼りになりそうもない…という事だろうか。
 しかし、たったの一度であっても調査を行なったのなら、いきなり町中に放り出されて路頭を彷徨う孤児達に何の手も差し伸べないばかりか、生き延びる為に仕方なく犯してしまった罪の糾弾には手厳しい、野平町の治安部隊よりは幾分マシなのかもしれない。
 人の手による様々な事件が対象ならばともかく、相手が妖しの者や物の怪では、治安部隊の不甲斐なさを責め立てるのは少々酷だろうか。
 「確かに治安部隊の管轄からは外れるかもしれないけど、町の治安を守るのが治安部隊の役割なのだから…」
 「そうは言ってもねぇ。相手が物の怪では、治安部隊を責める訳にも行かないでしょ。むしろ、こういった怪異現象ならば、寺院の方が専門の様な気もするけれども、この町の寺院は人生相談や冠婚葬祭くらいの役にしか立たないのだから、もとより駄目を承知で頼み込むのもねぇ」
 連婆さんは少し声を落としつつ、洗い場で自分の使った器を洗い流していた。
 「さぁ、明日見さんは明日の出発は早いんだろう? 余り夜更かしすると体に差し支えるから、そろそろ寝た方が良いのじゃないかい」
 明日見も連婆さんに促されて、もうすっかり冷えてしまった香草茶の最後の一口を飲み干すと、器の洗浄を連婆さんに託したまま、一足早く隣の寝室に移動する。
 元々が連雀の一人住まいを想定して作られた寝室だから、明日見の為の簡易寝台を拵えた事で更に窮屈になってしまったが、それでも一晩眠る程度ならば支障はなさそうだ。
 「では、おやすみなさい、連雀さん」
 「ああ、おやすみ」
 まだ洗い場で片付け物をしている連雀を残して、明日見は簡易寝台に潜り込んだ。
 昼間のうちに設えたにわか作りではあったが、寝心地も悪くはなかった。
 体の節々をジワジワとダルさが広がっていって、旅の疲れが溜まっているのは明日見自身も感じてはいたが、先程連婆さんに聞いた廃墟の話が気に掛かって、なかなか寝付けない。
 そうしている間にも、手早く洗い物を片付けた連婆さんも傍らの寝台に潜り込み、既に眠りに付いた事を示す小さな寝息を立てていたが、明日見はいわくつきの廃墟の怪異現象と、例の物の怪がこの事件に関わっている可能性について、ぼんやりと考えを巡らせていた。
 確かにあの物の怪ならば、他人を驚かせて嘲るだけの為に、大掛かりな騒動を仕組む可能性を考えられなくはない。
 しかし、わざわざこの町を選んで騒動を起こす理由が、明日見には思いつかなかった。
 それにしても、もしあの物の怪が犯人だとしたら、中原地帯に入って以降、ずっと付き纏われたままの明日見とも全く関係がないとは断定できない。
 かつて東辺町で、勝手の分からない明日見を言葉巧みに陥れようとした様に、又してもあの物の怪が妙な考えを起こして、再び明日見を陥れる為に張り巡らせた罠だとしたら、この騒動自体が明日見を誘き寄せる為に物の怪が仕組んだ策略だとしたら、例え不可抗力ではあっても、明日見にも幾ばくかの責任がないとは言えないのかもしれない。
 もっと早い段階で物の怪との生温かい関係を清算する何らかの手を打っていれば、この町を得体の知れない怪異現象に巻き込む必要もなかったのかもしれない。
 もちろん、現段階では一連の幽霊騒動があの物の怪によって引き起こされたと断定する材料は何もなかったが、何となく自分に関わりがある様な、妙な胸騒ぎがしていたのだ。
 そういえば、野平町を離れて以来、物の怪はパッタリと明日見の前から姿を消したままだった。
 これまでは、物の怪が明日見の前に現れても煩わしいだけで、明日見の神経を逆撫でするばかりだったので、『物の怪の音沙汰がない方が返って都合が良い』、或いは『きっと諦めて住処である迷いの森にでも帰ったのだろう』と、全く気にかけていなかったのだが、もし明日見の思いもよらぬ形で、良からぬ策略を巡らせているのだとしたら、何とかして止めなくてはならない。
 それでも、物の怪が明日見に直接何らかの危害を及ぼすつもりなら、何とでも対処のしようはあったが、明日見の行く手を先回りして、関係のない不特定多数の住民に多大な迷惑をかけてまで明日見の気を惹くつもりなら、明日見にとってもこれと言った手の打ちようがない。
 かといって、たまたま小耳に挟んだ他人事と素通りする訳にはいかなかった。
 しかし、いざこちらから物の怪を呼び出したいと思っても具体的な方法が分からないし、物の怪の現在の所在の見当もつかなかった。
 そもそも、これまで物の怪は勝手に明日見に付き纏っていたのだから、明日見から物の怪を呼び出す必要性を感じていなかったのだ。
 「あの忌まわしい物の怪め。無関係な他人を巻き込まずに、妙な企てを仕掛けるなら、私に直接仕掛ければよいものを…」
 本心からそうして欲しい…と願う訳では決してなかったが、他人を巻き込むくらいなら自分が直接責めを負った方が、遥かに気分が楽でいられる。
 明日見はもう一度だけ…と、物の怪に対して今すぐ自分の目の前に現れる様に念を込めた。
そうすれば物の怪にも明日見の意思が伝わる保証はなかったし、明日見の要請に応じて物の怪がすんなりと姿を現すとも思えない。
 それでも、明日見には自分の思いを込めて強く念じる事くらいしか、物の怪を呼び出す為に有効と思える方法が思い浮かばなかった。
 「あぁ、こんな事ならば、もう少し物の怪の話に耳を傾けて、色々と聞き出しておくんだった」
 『後悔先に立たず』とは、この事だ。
 それにしても、係わり合いになりたくない時には、これでもかと言う程しつこく付き纏っていた癖に、いざこちらに用がある時には全く音沙汰無しとは、どうしてこうタイミングが合わないのだろうか。
 今度私の目の前にあの異形を現したら、徹底的に問い詰めてやる。
 まるで、予めこちらの心の動きを読んだ上で弄んでいるかの様に、物の怪は一向に明日見の目の前に姿を現す気配を見せない。
 しかし、そうやって焦らされれば焦らされる程、益々物の怪と廃墟の怪異の関係性が疑わしく感じられて、自らの目で確認せずには置けない心境に囚われていく明日見であった。
 こうなったら、名目上は連婆さんに一晩の宿を世話してもらった礼代わりでも良い。
 もしかしたら、廃墟の探索で丸一日を潰す破目に陥るかもしれないが、このまま廃墟の怪異を放置して先を急ぐ訳にはいかない。
 残された時間が余り多くない事は重々承知しているし、そうでなくても一刻も早く逢蘭を救出したい明日見ではあったが、同時に自分が少しでも関与している可能性のある騒動を放置しては置けないと言う、明日見の心理的な盲点を巧みに突いた企てに、静かな憤りの感情を燻らせながら、『明日のうちには必ず事態の真相を暴いてみせる』と、密かに覚悟を決めるのであった。

(続)

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