FolderStoryGameBlogLinkProfile
継帝記異聞録

廃墟の怪 - 5

 その翌日、決して旅立ちの朝に相応しい晴れやかな天候には恵まれなかったが、かと言って、昨日明日見と駝を悩ませた、重苦しい湿気に満ち満ちていた雨雲はかなり大人しくなって、すっきりとはしないが僅かに薄日の差し込む朝を迎えた。
 明日見は、まだ日の高くならないうちに、連婆さんの小屋を後にした。
 「明日見さんがいてくれたお陰で、昨夜は安心して眠れたよ」
 そう言って笑顔で見送ってくれた連婆さんには、敢えて何も告げずに出てきた明日見だったが、当然最初の行き先は幽霊騒動で揺れている問題の廃墟であった。
 自分に常に付き纏っている物の怪が、何らかの形でこの騒動に関与していると言う疑いを拭い切れなかったからなのだが、敢えて廃墟に関する情報を連婆さんに聞くでもなく、連婆さんにしても、明日見が旅を急ぐ事情を聞いていた為に、廃墟に関する詳細な情報を明日見に与えた訳でもなかった。
 しかし、わざわざ情報を得るまでもなく、廃墟はこの近辺でも頭一つ突き出た小高い丘の上に聳えていたから、特に道にも迷わずに、半刻(約三十分)程駝を歩かせているうちに辿り着いた。
 それは、遥か昔に打ち捨てられたが、今尚その形状と大きさゆえに周囲に対して威容を誇る、石積みの高い塀に囲まれた古城であった。
 建築物としてはそれなりに荒廃が進んでいたが、遺跡と呼んでしまうにはまだかなり早い…放棄されてから少なくとも数十年は経過している様に見える。
 確かにこの規模の廃城ならば、町中へ自由に立ち入る事が憚られる後ろ暗い過去を持つ者にとっては、雨露を凌ぐには格好の建築物だったし、盗賊団のアジトとしても申し分なく機能するだろう。
 明日見は、昨日世話になった連婆さんの言葉を思い出しながら、取り合えず石積みの巨大な外壁に沿って、周囲をぐるりと廻って見る事にした。
 廃墟の建つ丘は、視界を遮る障害物一つない、実に見晴らしの良い場所であったから、丘の周囲に整然と区画整理された一面に広がる緑の農地と、それを大きく取り囲む林や草原が、どこまでも続いている様に見える。
 微妙に濃淡のコントラストを変化させつつ、眼下に広がる一面の緑の絨毯の一角には、どこまでも長く伸びる街道の石畳に沿って、やはり整然と立ち並ぶ石積みの建物が寄り集まる様にして林立していた。
 多分、その建物の固まりに見えるのが、過州第三の規模を誇る葛篭川(つづらがわ)町なのだろう。
 明日見は雄大な景色に思わず心を奪われ、息を呑んで目の前に広がる光景を堪能しながら、ゆっくりと廃墟の裏側へ駝を進める。
 やはり、廃墟の裏側に広がるのも、辺り一面の緑、また緑…であった。
 しかし、なぜかこの廃墟を中心とした丘の頂上付近だけは、赤茶けた瓦礫の大地が剥き出しとなっていて、緑はおろか雑草一本生えていない。
 まさか、曰く有り気な廃墟の周囲だけに緑から嫌われている…訳でもないだろうが、緑に限らず、廃墟の石積みの外壁からは、全くと言って良い程生命の息づく気配が感じられなかった。
 「全く、この丘だけが呪われた土地だとでも言うのだろうか…まさか。それにしても、この廃墟は一体何なのだろうか。こんなに巨大な城が放置されて廃墟と化す位なのだから、きっと余程の事情があったのだろうけど…」
 明日見は、ここまで来て初めて、『連婆さんから、この城が廃墟と化した経緯を聞いておくべきだった…』と後悔した。
 あの物の怪が幽霊騒動に関与しているか否かは別としても、実際に騒動の起点であるらしき廃墟を目の当たりにすれば、それはそれで何か曰く有り気な只ならない雰囲気を感じるのだ。
もし物の怪に直接の繋がりがなかったとしても、せっかく問題の廃墟にまで足を運んだのだから、どうにかして事件を解決したかった。
 そうすれば、連婆さんや近隣の住民達は、幽霊などといった妖しのものに悩まされる事のない、静かで穏やかな生活を取り戻せるのだ。
 その為には、少しでも廃墟に関わる情報を手に入れておくべきだったのだが、殆どまともな情報も持たぬままここまで来てしまった。
 今更後悔しても手遅れではあったが…。
 明日見は、目の前に高く聳える城壁を見上げ、それがしばらくの間全く手入れがされていなかったと言っても、未だ襲い掛かる敵軍から我が身を守る能力には些かの衰えもない事を感じさせた。
 そして大きく一つ深呼吸をすると、自分自身の心に気合を入れなおして、堅牢な城壁の門を抜け、その内部へと足を進めた。
 城と城外を唯一結ぶと思われる城門は、往時には恐らく何本もの巨木を結び合わせて作られた、人手では到底開けられそうにない巨大な代物と推測されたが、今となっては無残にも跡形なく破壊され、当時の面影を僅かに偲ばせる残骸が僅かに散乱するのみと化していた。
 城壁の内側は、中央に公園か広場を思わせるちょっとした広さの石畳の空間があり、その周囲を取り囲む様にして、城壁に沿って大小幾つもの建物が立ち並んでいた。
 とはいえ、それらの建物はいずれも酷く損傷が進んでおり、中途半端に破損した建物の残骸が、乱雑に撒き散らされたままの状態で放置されている。
 一方、荒廃が進む建物の中で唯一抜群の堅牢さを誇る城壁自体も、内部に巨大な居住空間を抱えていたが、表から見る整然とした城壁の状態も、その内部までも同様の状態のまま維持されているとは少々信じ難かった。
 「確かに、廃墟と言うだけあって、城の内部はかなり荒らされている様だけど…」
 どこから探索を開始しようかと、周囲を見回しつつ戸惑っている明日見の視界に、崩れかけた建物の柱に手綱を結わえ付けられたまま、殆ど音も立てずにその場に佇んでいる一羽の駝の姿が映った。
 ――誰かがいる!
 思わぬ先客の発見に、明日見の背筋に緊張の糸が走り、咄嗟に眉を顰めて周囲を気配を慎重に探ったが、少なくとも中央の空間やその周囲を取り囲む建物からは、人の気配は感じられなかった。
 「…と言う事は、あの駝の主は城壁の内部にいるのだろうか」
 一人小声で呟きつつ、明日見は先客の連れた駝とはちょうど反対側の、既に屋根が落ちてしまった建物の中に駝を連れて入り、容易には倒れそうにない事を確認してから、相手の駝からは死角となる位置に立つ柱に、自分の駝の手綱を結わえ付けた。
 「良い子だから、少しだけここで大人しくしていなさい」
 今や旅の心強い相棒となりつつある駝の首筋を優しく撫で付けると、明日見は既に扉が剥ぎ取られて久しいだろう、ぽっかりと黒い穴だけが浮かんでいる反対側の戸口から城の内部に潜り込んだ。
 明日見の目的は、第一に先客の正体を確認・捕捉し、その上で可能ならば、先客からこの城に関するより詳細な情報を入手する事にある。
 怪異の原因を追求するにしても、予め余計な邪魔者を排除してからでないと、落ち着いて取り組めないという訳だ。
 ましてや、ここはならず者や盗賊団の巣窟であるとの噂も絶えない、曰くつきの場所である。
 どの様な厄介な人物が紛れ込んでいたとしても不思議ではない。
 そういう意味では、相手が集団ではないという部分が多少気にかかるのだが、駝が一羽しか見当たらないからといって、相手が一人しかいないとは限らないのだ。
 とにかく、相手の状況を掴むまでは、出来る限り慎重に事を運ばなくてはなるまい。
 「さて、まずは一階から探るしかないのだろうけど…」
 城の内部は、城壁の外側から眺めた印象とはかなり違っていて、思ったより広い空間が確保されていた。
 基本的な構造は、外側の壁面に沿って幾つもの部屋が壁を隔てて並び、内側の壁面に沿って通路が一直線に通り抜けると言う単純なものであった。
 また、城壁の四隅に当たる部分は壁面そのものより一回り高く、屋上に城楼が据え付けられており、その内部は螺旋状の階段が伸びていて、各階を繋いでいた。
 それにしても、何の手入れもないまま、長年に渡って風雨に晒され続けてきた影響か、壁面の所々には僅かな亀裂や穴といった綻びが生じていたが、そういった細かな隙間から木漏れ日が差し込まなければ、明かり取りの窓一つ備え付けられていない室内は、完全な闇に閉ざされていた事だろう。
 いや、むしろ敵の攻撃を受けやすい一階だからこそ、明かり取りの窓を必要としない倉庫として使用されていたと考えれば、ある意味合理的な構造だと言えなくもない。
 ――この城はいつ頃から廃墟と化してしまったのだろうか。
 明日見の心にふとそんな疑問が湧き上がって来た。
 これ程規模の大きな建物なのだから、これを建てたのは余程名のある領主なのだろうし、これだけの規模の建物を建築出来る財力を備えていたのだから、往時には相当の勢力と影響力を周辺各地に轟かせていたに違いない。
 それがいつ、どうして廃墟へと没落する道を選んでしまったのか、明日見には全く見当もつかなかったが、きっと悲しい結末を迎えたであろう廃城の運命に、少なからぬ興味を覚えていた。
 そのまましばらくの間、明日見は所々の壁の隙間から差し込む僅かな外光のみを頼りに、息を潜めて慎重に壁面に沿った各部屋を物色して廻っていた。
 しかし、盗賊の根城となった噂が蔓延っているだけあって、どこからか紛れ込んだ石ころや床面をうっすらと覆っている砂埃の層以外に、明日見の眼を惹く物は何も発見できなかった。
 かつてはこの城の主が倉庫に保管していたであろう、大量の物資や宝物類は、とうの昔に盗掘されてしまったに違いない。
 いや、むしろそれ以前、この城が敵の攻撃を受けて陥落した時に、戦利品として敵軍に全て持ち去られていたのかもしれない。
 ――ウワァー!!
 ふと、明日見の耳元で、複数の人間の鬨の声と思しき雑音が木霊した様な気がして、反射的に思わず息を呑んで背後を振り返った。
 当然、明日見の視界に入るのは、斜めに差し込む細い光の筋と、対極を為す漆黒の闇の強烈なコントラストのみだった。
 確かに、この城には何かがいる…明日見は瞬間的にそう直感していた。
 もちろん、駝を駆って一足先にこの城に潜入した謎の人物も、今この城のどこかにいるのだろうが、そういった実在する命ある存在とはまた違った、得体も知れぬ異世界の存在を微かに感じ取っていた。
 明日見には、既に人ではない存在との浅からぬ縁があるだけに、余計にそういった妖しの者に対する感覚が鋭くなっていたのだ。
 「さすがに曰くつきの城だけの事はある。まるで黄泉路の国から迷い出た、この世の者ならざる魔性の者が、歪んだ悪意を撒き散らしているかの様な、そこら中を漂う首筋を締め付ける異物感は…。でも、今はあの駝の持ち主を捕捉する方が先」
 明日見はそう思い直して、一歩足を踏み出した矢先に、傍らの壁越しに何者かが通り抜けた気配を感じた。
 それは、最初は僅かな染みの様な痕跡でしかなかったけれども、次第に色濃く凝集していって、明日見にも馴染みのある、かといって余り歓迎できない存在の出現を確信させていった。
 「こんなに忙しい時に現れるとは、今度は一体どういう魂胆なのだ? 又しても私を罠に嵌めるつもりなら、後で心行くまで付き合って返り討ちにしてくれるから、先に一人片付けるまでは黙って大人しく待っていてもらおうか。忌まわしき物の怪よ」

(続)

Top
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 >
Copyright (C) 2006-2007 Blankfolder こりん, All Rights Reserved.