明日見は退魔師の尚正に従って、城壁を一気に最上階まで登り切った。
尚正が『中途半端なままの自分の結界を張る作業を優先したい』と主張した為、特に異を唱える理由も無い明日見は、とりあえず直正に言われるままに従う事にした。
『結界』についての簡単な説明は受けたと言っても、直正の行動を見る限りでは、単なる紙切れを城壁の到る所にペタペタと貼り付けているだけとしか思えない。
ーーこんな子供騙しのおまじないじみた作業にどれだけの効果があるのだろうか…。
現に明日見は今『尚正が結界を張った』とされる区域を通り抜けて来たのだし、こ うやって尚正の行動を傍観している場所も『尚正の結界の中』なのだ。
だからと言って、明日見の身体に明らかな異変が生じた訳でも、違和感や嫌悪感といった精神的な変化が生じた訳でもない。
ただ、敢えて言えば、この廃墟全体を覆い包むピリピリと張り詰めた緊張感は、自分の素肌を通して伝わってくる。
生まれつきそういった雰囲気や気配といったものに敏感な明日見は、『それはここが曰くつきの魔物の巣食う場所だから…』だと自分なりに解釈していたのだが、それが『尚正の結界に入った反応だ』と言われれば、そう受け取れなくも無い。
ただ、だからと言って結界が果たして尚正の言葉通りの効果を発揮するのか、明日見には判断が出来なかった。
元々明日見自身が物の怪や幽霊と言った異界の存在に詳しくは無かったし、だからこそ不似の山の天元堂で修行に明け暮れていた時にも、『神の技』とも言われる神通力を習得して仙となる事を目指すのではなく、武闘術の習得という肉体的な鍛錬の道を選択したのだから。
また、たとえ尚正の言葉を鵜呑みにする訳には行かず、尚正の言葉の信憑性を裏付ける材料に不足があっても、明日見にとって不得手な異界の者の扱いについては、当面直正に任せるのが賢明なのだろう。
当の本人が『異界の者を扱う専門家だ』と自称しているのだから…。
ーーいっその事、あのしつこい物の怪についても相談してみようか…。
そんな他愛も無い考えが頭を掠め、ただ所在無く尚正の作業を傍観するだけの明日見が笑みを浮かべる。
確かにあの物の怪の執拗な付きまとい行為には辟易し、半ば呆れ返ってもいたのだが、それを除けば明日見にとって深刻な影響を及ぼしているとも言えない。
目の前から消え失せてくれればすっきりするが、付きまとわれて迷惑と言う以上の弊害は取り立てて見当たらない。
ーーもし、この廃墟の一件が片付いて、その後で思い出したら相談してもいいだろう。
結局、そういう結論に落ち着いた。
きっとその頃には、尚正の実力の程度もはっきりしているのだろうから。
明日見は尚正の見慣れぬ一連の作業に興味を覚え、いつの間にか明日見が何かと質問し、それに尚正が答えるといった形の会話が成り立っていた。
尚正は予め定められた作業を淡々と繰り返しつつも、明日見の質問に快く返答していた。
尚正によれば、結界を張る為のお札は何も辺り構わず貼り付けている訳ではなくて、常人には到底感知出来ない微妙な力のバランスを考慮して、最も効率的かつ最大限の効果を発揮出来る位置を特定しているのだそうだ。
また、お札にしても特殊な効果を持つ以上、単なる紙切れを材料とはしていても独特の製法がある。
であれば、たった一枚のお札を作るにしてもそれなりの手間暇がかかるのだろう。
それに、尚正がお札によって結界を張る作業を『匂いつけ』と表現した裏には、それなりの理由がある。
お札は、一度張り付けてしまえば未来永劫その効力を保つ訳ではないらしいのだ。
時が経てば、様々な自然現象や人を始めとした生命活動などの影響を受けて匂いが消え失せるのと同様に、お札が作り上げた結界の効力も時の経過と共に薄れてしまう。
尤も、結界を張る手法には様々な種類がある様だから、一概にそう断言は出来ないらしいが、特に紙のお札を使用した簡易結界にはその傾向が顕著だと言える。
だからこそ、手軽に自分の結界が張れる便利なお札も作り置きが利かない為、実は結構な貴重品なのだそうだ。
何かと融通の利く便利な紙のお札だからこそ、常日頃から携帯してはいるものの、今回の様に大量のお札を用意して、巨大な城壁の廃墟を丸ごと自分の結界に変えてしまう大規模な作業は、尚正にとっても初めての体験だった。
廃墟の地下に巣食う魔物が強力だと見たからこその周到な準備であり、またこれまでにない巨大かつ厳重な結界で相手の力を封じ込めてしまおうと言うのだ。
「待たせてすまないけど、先にこれを終わらせておけば一息つけるから…」
明日見に対しては気さくに話し掛けるといった印象の尚正だったが、その目つきは常に鋭く、お札を扱う手つきも慎重そのものだった。
明日見にはまだピンと来ないのは当たり前だが、尚正にはこれまでの経験から、結界の張り方の良し悪しが自身の生死に直結しかねない事を熟知していた。
そして、お札の位置関係は結界の良し悪しを決める決定的な要素なのだ。
尚正が最後のお札を貼り終え、思わず肩を震わせて大きな吐息を漏らすと同時に、これまで周囲に張り詰めていた肌を刺す様な緊張感がにわかに解けていった。
「これだけは先にやっておかないと、いざという時に僕の命も君の身の安全も保証出来ないからね。でも、これで廃墟の地上部分は全て僕の結界に包まれたから、安心してくれていいよ」
尚正はもう一度結界の張り具合を確認する様に周囲を見回しながら、明日見に話し掛けた。
「そうなの? 何だかこれまでと別に変わっていない様だけど…」
「それはきっと、明日見も僕の結界の中にいるうちに慣れてきたという事かな? あるいは、僕と明日見の精神力の気質が近いからなのかもしれない。さっきも言ったけど、人によっては僕の結界に入って強い違和感を覚えたり、体の不調を訴える人もいるのだけど、それはそれで都合が良かった」
尚正が身振りで『さあ、いこうか』と促すと、明日見も無言のまま頷いて後に続く。
「さっきは一応『案内する』とはいったけど、見てもらえれば分かる様に、城壁の中はどこへ行っても何もない空家状態だ。明日見の気の済むまで自由に見てもらって構わないけど、時間の無駄使いに終わるかもしれない」
「そうね…確かにこの階には取り立てて何もなさそうだし、他の階も似たような物かもしれないけど、ざっと一通り見て回ってもいい?」
「ああ、構わないよ。それに、明日見だっていつまでも上にいるつもりは無いのだろう。…あとは、この城が廃墟になった由来だったね」
「えぇ」
「明日見は、李朝(りちょう)時代の歴史的な流れについてはどの程度知っている?」
「まぁ、大まかな流れはわかるつもりだけど」
明日見は尚正の口から『李朝』の言葉が出てくるとは予想していなかったから、意表を突かれて慌てて返答しつつも、『老師に個人教授を受けていて良かった』と、内心安堵のため息を漏らしていた。
「そう、それは好都合だ。だったら当時の事情は大体わかると思うけど、李朝は帝紀が編纂される前に倒れた短命な帝だったから、李朝の悪い印象ばかりが先行して、実際にあの時期の正確な歴史的経緯を知っている人は意外と少ないんだ。歴史学者とか、後は個人的に歴史を研究している人だよね。まあ、『なぜ明日見が李朝時代に興味を持ったのか』…という話はこの際置いといて、とりあえず李帝が即位する少し前くらいから話し始めようか」
それにしても、またしても李朝が関連するとは、きっと単なる偶然に過ぎないのだろうが、出来れば敬遠したい関わりではある。
たとえ短命な帝ではあっても、まだ当時の記憶を留めている人々が少なからず生き長らえている時点で、単なる昔話として片付けるには無理があったし、それだけ歴代の帝と比べても存在感という意味では際立っているのだろうから。
とても後世には誇れない悪名という形ではあったが…。
尚正の話は、慧(けい)朝が堕ちた後の、李帝であった頂翌(ちょうよく)と撰晶(そんしょう)の対立の辺りから始まった。
その辺りの大まかな事情については、明日見も以前東辺(とうべ)町の代峰(たいほう)老師のレクチャーを受けていたから、特に目新しい内容ではなかった。
ーーあの講義の内容をメモしたノートがあれば、もう少し詳しく思い出せるのだろうけど…そういう意味でも、呆六(ほうろく)の奴は許せない…もちろん灰人(かいと)だって、曽頓(そとん)だって許せないけど…。
ほんの少し前の様な気もするが、遥か昔の出来事の様にも錯覚してしまう、東辺町での出来事をふと思い浮かべながら、明日見は尚正の言葉に耳を傾けていた。
しかし話が進むにつれて、どうやら尚正の方が当時の歴史的な事情に通じているらしい…と言う印象を受けた。
一方の尚正に言わせれば、李朝時代の大まかな流れを知っているだけでも大したものだ…という事になるのだが、せっかくあの時代に通じていた代峰老師のレクチャーを受けたのだから、もう少し時間があればより細かい部分にまで焦点を当てて話を聞く余裕もあっただろう。
しかし、明日見にはそれだけの時間を確保する事が許されなかった。
まるで何者かに追い立てられる様にして、ここまで辿り着いたのだ。
ーーまぁ、今更過去の事を後悔しても、もう一度やり直せる訳ではない。尚正が教えてくれるのなら、今ここで不足していた知識を補えばいいのだから…。
話は、帝位継承を巡る頂翌と撰晶の対立が激しくなり、かといってお互いに決定的な行動を起こすでもなく、両陣営が激しい鍔迫り合いを演じていた頃に遡る。
この頃両陣営とも自陣営の結束を固める目的で、各州侯相互の姻戚関係が精力的に結ばれていった。
俗に言う政略結婚である。
その流れに沿って、各州侯に従う地方の領主間でも、特に有力豪族が率先して他州の豪族との関係を深めていく…といった動きが目立った。
その背景には、『血の結束は条約などの契約関係より強固』という双方の思惑があった。
また、姻戚関係の名の元に相互に人質の持合をする事で、予め反逆の意図を抑止してしまうといった効果も見込まれた。
この廃城はかつて桂山(かつらやま)城と呼ばれ、過州(かしゅう)州侯に従う有力豪族として、過州南部に広大な領地を所有する丸賀(まるが)家の本拠地であった。
現在でも城下の葛川町は過州第三の規模を誇る町ではあるが、かつては主要街道である東方公路(とうほうこうろ)を領内に持つ利点を活かして、こと経済力においては過州州侯と肩を並べるほどであったという。
そんな丸賀家に対して、他州から婚姻関係の申し入れが無い筈は無い。
案の定、丸賀家も過州と隣接する幾つかの州から申し入れがあったのだが…。
「丸賀家が一人息子である長子との婚姻関係を結んだ相手は、震州(しんしゅう)州侯…つまり巽晶第一の側近といわれた大乗(だいじょう)家の姫君だった…」
ーー大乗家?
明日見の心にその言葉が響いた。
大乗家といえば、母の形見として譲り受けた脇差に描かれている紋章が大乗家の家紋だと代峰老師に聞いていたし、だとすれば明日見自身が大乗家と何らかの血縁があってもおかしくは無い。
その大乗家の名をまさかこの様な場所で聞く事になろうとは、明日見にとっても全く想定外の出来事だったのだ。
「どうかした?」
尚正が怪訝な表情を浮かべて問い掛ける。
明日見自身は極力平静を装っているつもりだったが、退魔師を名乗る特殊能力を持つ者を誤魔化す事は出来ないのだろうか。
仮にも自分の心の動きが表情の変化や仕草に影響を与えている…そんな筈は無い。
だとしたら、この男は魔物を封じ込める力を使って人の心を読むとでも言うのだろうか?
「…大乗家といったら、李帝が巽晶の一族を反逆者として皆殺しにした時に運命を共にしたと聞いていたものだから…」
「ああ、よく知っているね。ただし、巽晶が李帝によって叛逆の罪を被せられた時に、巽晶の盾となって運命を共にしたのは、何も大乗家ばかりではない」
そう、大乗家と若干事情は異なっているとはいえ、丸賀家も似たようなものだ。
李帝は巽晶を討った後、即座に各州侯に対して勅命を発した。
『過日反逆罪の裁きを受けた震州州侯、及び、それに付き従った全ての氏族に血縁のある者を全て帝都に連行する事。後日この命を怠った事が発覚した場合、州侯・地方領主の別を問わず震州州侯と同様の罪に問われる事を覚悟されたし』
つまり、巽晶や大乗家と姻戚関係を持った州侯や領主は、既に他家に嫁いだ姫を李帝に差し出せ…というのだ。
もちろん、その姫が出産した子供も同様の扱いとなる。
匿えば反逆罪に問う…という脅し文句を添えてまで、巽晶の一族を文字通り『根絶やしにする』のが、李帝の意図だった。
これまで巽晶に付き従っていた各州も、要となる巽晶が討たれてから一気に結束が崩れた。
幾ら頂翌が不正とも思える手段で『帝位継承の儀』を執り行ったとしても、天帝の承認が得られた瞬間から帝となるのだ。
巽晶や大乗家と繋がりのあった州侯・領主の半数は、朝敵となる事を恐れて自らの存続を選択し、残る半数も時がたつうちに『李帝の勅命はただの脅しではない』と痛感させられる事になる。
そのきっかけとなったのが、李帝の勅軍が桂山城を攻め、丸賀家の一族郎党を根絶やしにした『丸賀反乱事件』だ。
丸賀家の若き当主は大乗家から姫を妻として向かえた。
本来は、東方公路に沿って領地を構える丸賀家にとって、同じ東方公路上にある震州との関係強化は経済的な利益をもたらすとの思惑があった。
しかも、震州州侯の側近とも言われる大乗家との縁戚関係が持てれば、経済面に限らず政治的な意味合いも大きい。
だが、この両者の婚姻に限っては、そういった政治的・経済的な側面ばかりが影響した訳ではない。
丸賀家の若き領主も、大乗家から嫁いだ姫君も、互いに深い情愛で結ばれる事に なった。
更には跡取となる長男と長女が相次いで誕生し、丸賀家の将来は順風満帆であるかに見えた。
そんな彼らの人生に狂いが生じたのは、離州(りしゅう)州侯の頂翌が先例を違えて強引に『帝位継承の儀』を行い、天帝の承認が得られたとの一報が入ってからだ。
頂翌は李朝を開闢し、即座に帝位を巡って対立していた巽晶を逆賊として討伐に乗り出す。
その時、丸賀家は中立の姿勢を保った。
幾ら妻の実家が巽晶に付き従ったとしても、逆賊の汚名を着るというリスクを犯してまで彼らと行動を共にするには、過州内では富裕な丸賀家であっても余りに無力であった。
主である過州州侯にしても、抗議の声を上げつつも具体的な行動は差し控えたのだから、丸賀家の対応を責められる者は当時の中原には一人として存在しなかっただろう。
時の帝に対する叛逆という行為は、それ程重大な罪とされているのだ。
しかし、それに続く勅命には、丸賀家としては従う訳には行かなかった。
既に丸賀家の一員となった妻はもとより、勅命の対象には二人の間に生まれた子供達も含まれてしまう。
「私が帝都に参りましょう。それで丸賀家に類が及ぶ事は避けられるのですから…」
そう告げる妻に対して、丸賀家の若き当主は、
「いや、勅命には『血縁のあるもの全て』とある。帝はお前ばかりでなく二人の子供達の引渡しも要求するだろう。私にとってはお前を失うのも、子供達を失うのも耐えられぬのだ。それに、幾ら帝とはいえ許されぬ行いもある」
と返答したという。
きっとこの時、若き当主は自らの運命を覚悟し、それでも敢えて逆賊の汚名を着る決断をしたのだろう。
かくして丸賀家は、同様に巽晶の一族や大乗家に繋がる者を身内に抱える諸侯・諸領主の中で、逸早く『勅命には従えない』旨の意向を表明した。
李帝はすかさず勅軍を派遣して桂山城を攻め、目立った反抗も無く三日後に桂山城は陥落したと言う。
丸賀家の若き当主は自らの声明を明らかにすると同時に、これまで従って来た郎党にまで類が及ぶ可能性を考慮して、配下の者を全員解雇していた。
しかし、古参の騎士や兵士を中心とした多くの者が尚も自主的に城に留まり、若き主と運命を共にした。
この事件が勃発するや、中原全土に『どの様な理由があれ、李帝に叛逆する者は一族郎党皆殺しにされる』という認識が、背筋も凍る血生臭い事件を通して定着した。
桂山城に立てこもった者は残らず殺害されたが、その他の丸賀家に血縁を持つ者にまで類が及ぶ事は無かった。
桂山城陥落の折、丸賀家の若き当主とその妻は勅軍の手が及ぶ直前に自害したが、当初二人の子供の行方が掴めなかった為に、『何者かの手引きで城から脱出したのでは?』という憶測が流れた。
しかし、後日城内の火災で全焼した部屋の一角から、身元の知れぬ二体の子供の焼死体が発見された為、『おそらくこの遺体が丸賀家の子供達であろう』と推定され、事件は終息した。
だが、その遺体が『丸賀家の子供達である』という明確な証拠も見つからなかった為、城下ではその後しばらく『きっと丸賀家の子供達は影武者を立てて逃がされたんだ』といった噂話が、まことしやかに流れていたという。
ちなみに『丸賀反乱事件』はその後殆ど顧みられる事もなく、まるで歴史の忘却の彼方に置き忘れられた様な扱いを受けているが、そこには当時の李帝の過州州侯に対する配慮があったと言われる。
州侯が沈黙を保てば、この件はそれ以上詮索しないという意味だろう。
当時の過州州侯の心の内は知る由もないが、自らの家臣でもあった丸賀家を見殺しにした訳ではあるまい。
それは、後の過州州侯の行動が全てを証明していると言ってよい。
「それで、問題の怪異現象だけど、『丸賀反乱事件』の直後には、桂山城…つまりこの廃墟で幽霊などの目撃例があるらしい。ただ、その頃はあくまで城内かその近辺に限られていた様だ」
「そのままの状態がずっと続いていたのだけど、最近になって街中にまで出現する様になった…と言う事?」
「まぁ、そういう事だ。だから、そういった過去の経緯が関係あるのかないのか、今の段階では判断がつけられない。そういった過去の事件がきっかけなら、もっと昔から様々な騒動が発生していていい筈だからな」